大谷翔平選手は、NPB(日本のプロ野球)で活躍して、MLB(メジャーリーグ)に移籍していきました。
NPB時代も注目を集めていましたが、MLBに移籍しても更に注目を集める選手になっていますね。
では、プロ入り前の高校時代の成績は、どうだったんでしょうか。
大谷翔平選手の高校時代の成績をまとめました。
<スポンサードリンク>
大谷翔平の高校時代の成績
大谷翔平のほろ苦い甲子園デビュー。150キロ計測も帝京4番松本剛… (2020.06.05) https://t.co/fetQQcRjVg pic.twitter.com/BghdsrDZcv
— 高校野球ニュース (@Kokoyakyu_News) June 5, 2020
大谷翔平選手の高校時代の成績についてまとめていきます。
高校1年生の成績
大谷翔平選手は、高校1年生の初めの頃は、意外にも野手をしていたんです。
その理由は、大谷翔平選手の体が成長段階なので、投手をするのは、まだ先という監督の方針があったからでした。
しかし、大谷翔平選手は野手だった1年生の春から、公式戦に出場していました。
しかも、打順が4番でした。
この時点で、普通の高校生の域を超えていますよね。
普通の高校でも1年生が4番を打つことはほとんどないのですが、大谷翔平選手の通っていた花巻東高校は、甲子園に何度も出場したことのある強豪校です。
その中で、高校に入学したばかりの1年生が4番を打つんですからね。
投手デビュー
1年生の秋からは、本格的に投手として始動します。
もちろん、いきなりエースです。
さすがですよね。
球速もこの段階で、147㎞/hを記録します。
高校2年生の成績
この記録は、当時の高校2年生の最速タイ記録でした。
過去にこの球速を記録したのは、田中将大選手でした。
ただ、このとき大谷選手はケガをしていて、途中登板しています。
試合も1回戦で敗退していまいましたが、怪我をしていたのに最速タイ記録を出しているところがすごいですね。
高校3年生の成績
第84回選抜高等学校野球大会(春の高校野球)に出場します。
しかし、初戦で藤浪晋太郎選手(阪神タイガース)を擁する大阪桐蔭高校に敗れてしまいます。
夏の甲子園を目指しましたが、県大会で敗退して出場は、叶いませんでした。
だだ、県大会で記録した160㎞/hというニュースが話題となりました。
そして、9月には、第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出されます。
県大会で敗退した選手が、選ばれるだけでも珍しいので、大谷翔平選手の力が飛び抜けていたんでしょうね。
しかも、四番・指名打者として起用されました。
結果は、残念ながら6位に終わりました。
<スポンサードリンク>
高校時代の大谷翔平の球速は?
高校1年生で投手デビューして、147㎞/h。
高校2年生の時の最速が、151㎞/h(+4㎞/h)。
高校3年生の時の球速は、160㎞/h(+9㎞/h)。
高校時代に、球速が13㎞/hもアップしています。
スタート時の球速が、147㎞/hですから、そこから13㎞/hもアップはすごいですよね。
大谷翔平選手の高校時代の身長はこちら⇒大谷翔平選手の身長と体重は?
大谷翔平選手が甲子園に出場した回数は?
大谷翔平選手が甲子園に出場した回数は、2回でした。
意外に少ないですよね。
また、甲子園では、花巻東高校としては、結果を残すことができませんでした。
大谷翔平選手の甲子園成績
投手:投球回数14回(防御率3.77、16奪三振)
野手:2試合(打率.333、1本塁打)
花巻東高校の成績
高校1年生夏:岩手県大会4回戦敗退
高校2年生春:選抜されず
高校2年生夏:甲子園1回戦敗退(対戦相手/帝京高校)
高校3年生春:甲子園1回戦敗退(対戦相手/大阪桐蔭高校)
高校3年生夏:岩手県大会決勝戦敗退
>>>今までの出演作をチェックするなら【PR】⇒U-NEXT無料トライアル
大谷翔平の出身高校は?
大谷翔平選手の出身高校は、花巻東高校(岩手県)です。
大谷翔平選手が花巻東高校を選んだ理由は?
大谷翔平選手は、同高OBの菊池雄星投手に憧れて、花巻東高校に入学します。
菊池投手は、大谷翔平選手よりも3歳年上で、花巻東高校時代に何度も甲子園に出場していましたね。
花巻東高校の場所は?
〒025-0066 岩手県花巻市松園町55−1
高校時代の目標は?
大谷翔平選手は、高校時代からいろんな目標を立って実践していました。
その目標を立てるときに使っているのが、「マンダラート」というものです。
高校時代にいろいろな目標を設定していましたが、もうすでにかなりの目標が達成されています。
<スポンサードリンク>
大谷翔平選手の高校時代の成績は!甲子園でも大活躍した?のまとめ
大谷翔平選手の高校時代の成績を振り返りました。
投手としては、最高球速を更新しています。
打者としても、1年生から4番を打ち、日本代表でも4番を打つなど頭角を表しています。
しかし、2度出場した甲子園では、どちらも1回戦敗退と残念な結果となりました。